真神原を巡る

日本の原風景が残る奈良県明日香村をはじめ、古代国家の原点とも言える飛鳥地方は、多くの万葉歌に詠まれ、無数の史跡とともにゆったりとした時間が流れています。

2022年4月7日、今回は飛鳥寺南方に広がる平地、古代より「真神原(まかみがはら)」と呼ばれる地 周辺を訪ねてみました。

真神原(まかみがはら)

真神とは日本狼を神格化したもの。

現在ののどかな風景からは想像もつきませんが、『大和国風土記』には、昔このあたりに人を食う老狼がいて、恐れた村人が「大口の神」と呼んだため、「大口の真神原」とも称された、という記述があります。

「大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに/舎人娘子(万葉集第8巻1636)」

ホオアカ / 2022.4.7

弥勒石(みろくいし)

飛鳥寺からほど近い場所にあります。

県道124号、甘樫丘方面から飛鳥川東岸沿いに歩みを進めると、紅白の花桃の奥に弥勒石の祠が見えてきます。

飛鳥川東岸の花桃

祀られている巨石はもともと飛鳥川に埋まっていたもので、川の堰や、条里制の標石に使われたとする説がありますが、佇まいを拝見すると、やはり大きなお地蔵様に見えます。

弥勒石の祠と休憩所

通称「ミロクさん」。足をはじめ、下半身の病気が治ると伝えられ、お堂には沢山のわらじが掛けられています。

毎年旧暦8月5日には、大字飛鳥によるお祭りが行われているとのこと。地域の方々に大切に祀られているのが伝わってきました。

弥勒石の祠

飛鳥川

高取山を水源とし、奥明日香柏森~稲渕~真神原~甘樫丘~藤原宮~大和川へと流れゆく飛鳥川は、多くの万葉歌にも詠まれています。

「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし/柿本人麻呂(万葉集第2巻197)」

「今日もかも明日香の川の夕さらず河蝦鳴く瀬の清けかるらむ/上古麻呂(万葉集第3巻356)」

飛鳥川の春

飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡
飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)跡
飛鳥宮跡

飛鳥寺より南方に750m。7世紀半ばに営まれた皇極天皇の「飛鳥板蓋宮」跡。蘇我入鹿が暗殺された「乙巳の変※」は宮の大極殿を舞台とし、皇極天皇は後に、入鹿の怨霊に悩まされたと伝わっています。

※飛鳥寺・乙巳の変の経緯は↓
「飛鳥時代の中心地をめぐる」へ

またこの地は後に「飛鳥浄御原宮」となり、天武・持統天皇の2代にわたり営まれたとされています。(明日香村野口には、天武・持統天皇の合葬墓「檜隈大内陵」があります。)

発掘調査では、飛鳥板蓋宮・飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮など、複数の宮が置かれていたことが確認されたため、現在は「飛鳥宮跡」と総称されています。

「大君は神にしませば赤駒の匍匐ふ田居を都と成しつ/大伴御行(万葉集第19巻4260)」

「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ/作者未詳(万葉集第19巻4261)」

飛鳥板蓋宮跡

飛鳥京跡苑池遺跡

飛鳥宮跡の北西に隣接した、日本初の宮廷庭園の跡。7世紀中頃、斉明天皇の時代に造営が始まり、のち天武天皇の時代に大規模改修されたと考えられています。庭園の中心となる建物跡や、北池・南池・水路が確認されています。

飛鳥宮跡・飛鳥京跡苑池遺跡
住所 奈良県高市郡明日香村岡
(見学自由)
出土遺物 2000点を超える木簡、土器(橿原考古学研究所)
現存 飛鳥浄御原宮(上層)の石敷広場・大井戸跡(復元)
駐車場 Ⓟ  甘樫丘Ⓟなどから徒歩

今回は、古代「真神原」と呼ばれた地をご案内しました。最後までお読み頂きまして、有り難うございました。