万葉の地をめぐる-2

日本の原風景が残る奈良県明日香村をはじめ、古代国家の原点とも言える飛鳥地方は多くの万葉歌に詠まれ、無数の史跡とともにゆったりとした時間が流れています。

今回は、万葉集にゆかりのある「明日香村大原(現小原)」と「明日香村八釣」の里をご案内します。

明日香村大原(小原)

飛鳥地方東方の、丘陵地帯にある大原の里。

この地は藤原鎌足の生誕地で、鎌足と不比等親子の邸宅があったとされています。

神仏分離が実施された明治初年までは、藤原寺(とうげんじ:鎌足誕生堂)があり、江戸時代後期には、国学者の本居宣長も訪れたとのことです。


大原神社

「飛鳥坐神社※」の森を東へ5~6分上っていくと、大原神社にたどり着きます。この道は、4km先にある多武峰「談山神社」への表参道となります。

※飛鳥坐神社の詳細はコチラ
「飛鳥時代の中心地をめぐる」へ

元々は藤原寺の鎮守として、藤原鎌足が祀られていました。

大原神社

境内には、天武天皇と藤原夫人(鎌足の娘)で交わされた、相聞歌(恋の歌)碑があります。

「わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後/天武天皇(万葉集第2巻103)」

「我が岡のおかみに言ひて落らしめし雪のくだけしそこに散りけむ/藤原夫人(万葉集第2巻104)」

天武天皇と藤原夫人の相聞歌碑(犬養孝 揮毫)

藤原鎌足 産湯の井戸

大原神社の奥、竹田川のほとりにあります。

中臣(のちの藤原)鎌足は、中大兄皇子(のちの天智天皇)の腹心として「乙巳の変」で蘇我氏を打倒し、「大化の改新」を推進した人物です。

臨終の床では天智天皇から、最高位である「大織冠」の冠位と「藤原」姓を賜り、日本の歴史において最大の氏族「藤原氏」の祖となりました。


大伴夫人(おおともぶにん)の墓

大原神社より西方にある、藤原鎌足の母のお墓。大伴久比子の娘で、大伴夫人と呼ばれていました。木々に囲まれた円墳で、石標が立っています。


明日香村八釣

大原の里より北側。八釣の里では1月下旬~2月上旬にかけて、黄色い可憐な花、蝋梅が見られます。

蝋梅(ロウバイ)/ 2022.2.4撮影

入江泰吉氏の写真集にも登場する八釣の集落は、1979年に撮影された当時と変わらない、大和棟の民家と、のどかな田園風景が広がります。

八釣の夏 / 2021.7.11

石仏には花が供えられ、村人の温かさが垣間見られます。

八釣の地蔵道標と庚申塔

弘計皇子(をけのみこ)神社

八釣集落からすぐ南側の森の中。後に顕宗天皇となる弘計皇子が祀られ、近飛鳥八釣宮跡の伝承地とされています。近くを八釣川が流れています。

「八釣川水底絶えず行く水の継ぎてぞ恋ふるこの年ころを/作者未詳(万葉集第12巻2860)」


八釣・東山古墳群

パネルより一部抜粋

明日香村大字八釣・東山地内にあるこの古墳群は、墳丘の規模や多くの副葬品を出土すること、6世紀中頃から7世紀前半にかけて継続的に尾根に築かれていることから、当地を収めていた有力豪族層の墓域と考えられます。

1・4号墳は八釣マキト古墳公園に、5号墳は飛鳥資料館庭園に移築保存されています。

八釣マキト1号墳

6世紀中頃の築造で、直径180m。右片袖式の横穴式石室。

マキト1号墳

天井石は石室内に落下していたとの事です。

副葬品として、須恵器などの土器、ガラス玉などの装身具、武器・馬具の金具類が出土し、明日香村埋蔵文化財展示室に展示されています。


今回は、万葉集にゆかりのある「明日香村大原(現小原)」と「明日香村八釣」の里をご案内しました。最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。